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2025年 12月 07 日・待降節第2主日 (A)
イザヤ 11.1-10・詩編72. 2+4,7+8,12+13・ ローマ 15.4-9・マタイ 3.1-12 待降節(A年)第2主日は、正しい方法で準備をするための日です。ただ待つだけの日ではありません。心を開き両手を広げて、神さまに立ち返るための日なのです。 待降節第1主日の朗読と黙想のポイントは、キリスト者とすべての人びとの未来に焦点を 当てていましたが、今日、私たちは、「待つ」ということに関してのテーマが、神さまに 立ち返り、より偉大な方が来られるための準備をするという勧めと関係があるということを思い起こします。今日の福音朗読では、悔い改める事を教え、自分よりも優れた方が 来られるための道筋をまっすぐにするようにと人びとを導いた預言者である洗礼者ヨハネについて書かれています。自分は、私たちの救い主であり王であるキリストへの道を整えて いるだけであると、洗礼者ヨハネははっきりと教えています。今日の第1朗読のイザヤの 預言では、完全なる王、ダビデ王の父であるエッサイの子らについての力強い一節が 書かれています。この一節はイエス様を指していま


2025年11月30日・待降節第一主日 (A)
イザヤ 2.1-5・ 詩編 122.1+2,,3+4ab,8+9・ローマ 13.11-14a・マタイ 24.37-44 待降節第1週目、特に待降節が始まる今日という日(待降節第1主日)に、待降節の間に 強調されている神さまの3つの来臨を、私たちは意識しています。1つ目の来臨は、 イエス様のご降誕です。イエス様は、ベトレヘムの馬小屋でお生まれになりました。 2つ目の来臨は、キリスト者とすべての人びとの未来に最も関わっています。今日の 朗読では、この未来と、世の終わりの時にイエス様が最終的においでになる事に対する 私たちの信仰について焦点が当てられています。3つ目の来臨は、日々の生活においての 私たち一人ひとりへのいろいろな呼びかけです。私たちのうちにある神さまの存在を、 私たちは意識しています。私たちの日々の生活の中に神さまがおいでになるという事は、 いつも神さまと絶え間なくつながり/交わる事で可能になります。私たちの教会生活を 踏まえた上で、数々の秘跡のお祝いを通して、神さまは私たちの生活の中においでになるのです。 今日は、待降節の最初の主日


2025年 11月 23日・王であるキリスト、祭日 (C)
サムエル下5.1-3・詩編122.1+2,3+4ab,4cd+5・コロサイ1.12-20`・ルカ23.35-43 今日は、典礼暦(C)の最後の主日です。私たちは、王であるキリストの祭日をお祝い します。私たちの内におられるイエス様が救い主であり王である事を、心を尽くして認め 受け入れるようにと、私たちは招かれ、導かれています。わたし達は個々に、そして共同体として、これまでの典礼暦で、意識的にあるいは無意識のうちに、何らかの良いおこないや良くないおこないをしてきました。 私たち一人ひとり、あるいは共同体として、この1年間を通してどのように過ごして きたのか、一人ひとり、あるいは共同体に対して評価する事が、今日の私たちの黙想と考えられるでしょう。私たちは、自分たちの悪い習慣やおこない(私たちの罪)を勇気を持って終わらせるようにと招かれています。たとえ福音の真価に反することであっても、私たちが慣れ親しんできた事を終わらせる事には痛みが伴います。けれども、より良くなるために 何かを終わらせる事への恐れが、良い実り、おそらく最高の実りをよりもたらすとい


2025年 11月 16日・年間第 33主日 (C)
マラキ 3.19-20a/詩編 98.4+5,6+7b+8b/2テサロニケ 3.7-12/ルカ 21.5-19 私たちは、この世において何が善であり、何が悪であるかという事に関して、共通の理解をしています。良い人びととは、一般的に善として理解されている事を行う人びとです。 悪い人びととは、一般的に悪として理解されている事を犯す人びとです。善を行うという 事は、すべての人びとに対して良いもの、平和、そして本当の幸せをもたらします。悪を 行うという事は、人びとに悪いもの、不安、そして重圧をもたらします。実際、善と 悪についての共通の理解を持って、人びとは何を望み、何を選び、何を行うのかによって、善人あるいは悪人となります。私たちの社会での善と悪の共通の理解と、私たちの信仰( キリスト者としての信仰)を前提として私たちが持っているものをもとに、今日の黙想を 始めましょう。 信仰(キリスト者としての信仰)のうちに、神さまであり、私たちの創造主である偉大なる 善(唯一の善)が私たちにはあります。神さまは私たちをご自分の似姿としてお造りになり、神さまがお造り


2025年11月09日・ラテラン教会の献堂(C)
エゼキエル 47.1-2, 8-9,12・詩編 84.2+3,4,6+7・1 コリント 3.9c-11,16-17・ヨハネ 2.13-22 今日、私たちは毎年行われている歴史的なラテラノ教会献堂記念をお祝いします。 もちろん、これは主日に行われ、私たちのカトリック共同体の霊的信心と永遠の信仰を 象徴するラテラノ教会の重要さを強調しています。これは、単なる「この世のもの」と 思われるかもしれませんが、私たちは、深い歴史的背景と建築上および芸術上の意義をも 考慮しています。 毎年の歴史的なラテラノ教会献堂のお祝いを受けて、今日のことばの典礼では、当時も今も私たちの教会生活に関しての多くの重要な事が含まれています。私たちカトリック教徒は、祈りや聖なる集まりで使うもの、また聖なる場所も含め、例えこれらが一時的なもの であっても敬意を表します。これらを得るために多くのお金を費やす人びとや共同体すらあります。私たちは、聖水による祝福や、司祭あるいは司教の按手を願います。私たちの多くは、私たちが祈りのために特定のものを使えば使うほど、祈りや信心やミサのために.


2025年11月02日・死者の日(C)
知恵 3.1-6,9 ・詩編 23.2+3,4,6 ・ローマ 8.31b-35,37-39 ・ヨハネ 6.37-40 万霊節は、「死者の日」としても知られています。私たちは、亡くなった兄弟姉妹たちを 偲び、祈ります。カトリック教会は、煉獄で天国へ行くための準備をし、天国への道を 進んでいくという事を信じて、すべての霊のために特別に祈ります。今日は、11月2日で死者の日です。今日の特別なことばの典礼から黙想を始めましょう。今日の第1朗読では、「神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受ける事はない」とはっきり書かれています。この点において、神さまが私たちのお父さんであり、私たちは神さまの こどもであるという基本的な理解から、私たちは黙想を始める事ができます。私たちは 神さまのためにあり、そして、皆が神の民なのです。言わば私たちは皆が神さまのもの 故に、神さまは、私たちやすべての被造物をお救いになります。これが私たちの信仰 であり、希望なのです。けれども、11月1日は諸聖人の祝日です。彼らは、かつて 地上で、とても人間的な経験をして生き


2025年10月26日・年間第30主日 (C)
シラ35.15b-17, 20-22a・詩編34.2+3,16+18,19+23・ルカ18.9.14 私たちは、今日の朗読から 本当の謙虚さ の持つ意味を理解しようとしています。本当の 謙虚さは、 私たちの祈りに応えられ 、正義が全うされる事を、公正かつ公平 (偏見のない)な神さまが、いかにして 約束して下さった のかという事の 理解へ とつながっています 。 今日の福音朗読の中でイエス様は、私たちの独善性に対する 偽りのない謙虚さ を教えて 下さっています。私たちが黙想するにあたって、独善性と 神さまのいつくしみと愛への 信頼 (力をお与えくださる神さま、みことばへの忠実さの実りを約束してくださった 神さまがおられる)との違いを見極める事ができますように。私たちは、 ファリサイ派の人々と悔い改めた徴税人 を比較したたとえ話を知っています。 ファリサイ派の人々の 性格は、自分たちの独善を良しとしている人々の性格を表しています。さらに、 自分たち 自身と独善性を高める ためならば、他の人々を見下す事でさえもできました。これが、 神さまから自


2025年10月19日・年間第29主日( C )
出エジプト17.8-13・・詩編 121.3+4,5+6,7+8・二テモテ3.14- 4.2・ルカ18.1-8 今日の朗読では、単に祈るのではなく、忍耐強く絶えず祈るようにと書かれています。 ここでの絶えず祈るという事は、私たちが神さまとほんとうにつながっているという毎日の具体的なおこないの表れであると理解できるでしょう。確かに、祈りには多くの様々な かたちがあります。私たちは、日々の生活の中での神さまの恵みと絶え間ない助けを認め、故に、何よりもまず賛美と感謝のうちに、神さまに立ち戻ります。私たちは、それぞれが 沈黙のうちに祈ります。私たちは、隣人とともに祈ります。私たちは、主日の典礼などの 教会の礼拝に与ります。私たちは、自分たちの人生の中で、これらのことを一度や二度のみ行うものではありません。私たちは、祈るということを人生のありかた(生きかた)とするようにと求められています。忍耐、根気/粘り強さ、そして、絶え間ない祈りをもって、 私たちの様々な戦いや挑戦の中で、神さまは私たちとともにいてくださるという事を知るのです。基本的にさまざまな姿で現れ


2025年10月12日・年間第28主日( C )
列王記下5.14-17・詩編98.1,2+3a,4+5・二テモテ2.8-13・ルカ17.11-19 今日、私たちは、私たちのいのちへの神さまの限りのない癒しの力について黙想 しましょう。はかない私たち人類の肉体のみならず、私たちのすべてのあらゆるいのちを...


2025年10月05日・年間第27主日 ( C )
ハバクク1.2-3,2.2-4/詩編95.1+2,5+6,7+8/2テモテ1.6-8,13-14/ルカ17.5-10 今日の私たちの黙想は、神さまへの私たちの信仰をもっと深めるために必要な事柄を もう一度よく考える(再考する)事が中心となっています。私たちが今日まで少し...


2025年9月28日・年間第26主日(C)
アモス6.1a, 4-7・詩編146. 6c+7, 8ac+9bc・1 テモテ 6.11-16・ ルカ 16.19-31 今日の朗読のすべてを黙想するにあたって、神さまのみことば(毎週あるいは毎日の聖書 朗読)による私たちへの導きに対して、私たちは心からもっと感謝すべきでし...


2025年9月21日・年間第25主日(C)
アモス8.4-7・詩編113.1+2,3+4, 7+8・1テモテ2.1-8・ルカ16.1-13 今日の朗読は、私たちがどのようにしてこの世の富を使うのかという事について、私たち 一人ひとりが黙想するようにと招いています。私たちは、すべての被造物を管理する責任を求められていま...


2025年9月14日・十字架称賛(C)
民数記 21.4b-9・詩編 78.1-4, 32-35・フィリピ 2.6-11・ヨハネ 3.13-17 私たちは、過ぎ越しの神秘を思い起こす事で、黙想を始めます。「イエス様は、十字架上でお亡くなりになり、新しい命を受け、天に父のもとに戻り、聖霊の息吹をお与えになり...


2025年9月07日・年間第23主日(C)
知恵9.13-18・詩編90.3+5ab,4+5c+6,11+12・フィレモン9b-10,12-17・ルカ14.25-33 今日の朗読で、私たちは、ほんとうのキリストの弟子である事の意味について、もっと深く掘り下げるようにと招かれています。ほんとうのキリストの弟子となる...


2025年8月31日・年間第22主日(C)
シラ3.17-18,20,28-29・詩編68.4+5ab,6+7bc,10+11・ヘブライ12.18-19,22-24a ・ルカ14.1,7-14 今日の朗読では、へりくだるという事(こと)について語(かた)られています。...


2025年8月24日・年間第21主日(C)
イザヤ66.18-21・詩編117.1+2・ヘブライ12.5-7,11-13・ルカ13.22-30 今日の朗読では、人類に対する神さまのご意向について語られています。神さまの無償の 愛と深いいつくしみによって、神さまは、すべての人々が集まり、ご自分のもとに来る事を望んで...


2025年8月10日・年間第19主日(C)
知恵18.6-9‘・詩編33.12+13,14+15,20+21・ヘブライ11.1-2,8-19・ルカ12.32-48 今日のみことばの典礼は、今日の朗読にのみ限ったものではなく、私たちが神さまのみことばを黙想する度に、3つの主要でかつ共通なテーマがあるという事を教えて...


2025年8月3日・年間第18主日(C)
コヘレト1.2,2.21-23・詩編95.1+2,5+6,7+8・コロサイ3.1-5,9-11・ルカ12.13-21 私たちの今日の朗読は、私たちが毎日の生活の中で本当に大切で優先すべきものを、 もう一度考えなおし(見直し)、正直に確かめる気持ちにさせてくれます。たしかに...


2025年7月27日・年間第17主日(C)
創世記18.20-32・詩編138.1+2ab,4+5+7d,8・コロサイ2.12-14・ルカ11.1-13 私たちは、神さまの戒めを実践することによって、キリスト者としての信仰を生き抜く ことについて黙想し続けています。私たちは、神さまのうちに生きること、そして、常に...


2025年7月20日・年間第16主日(C)
創世記18.1-10a/詩編15.1+2,3+4a+6/コロサイ1.24-28/ルカ10.38-42 私たちは、教会の典礼暦にある2つ目の年間の期間を迎え、毎日の生活の中で、私たちが、どのようにして私たちの信仰を実際に生き抜いていくのかという重要な課題を与えられて...
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