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2026年3月22日・四旬節第5主日(A)

Updated: Mar 20

エゼキエル 37.12-14・詩編.130.1+2, 5+6, 7a+8・ローマ 8.8-11・ヨハネ 11.3-7, 17, 20-27, 33b-45

 

今日は、四旬節第5主日です。今日のミサでは、成人洗礼志願者のための三つの特別な 意向の祈りのうちの最後の祈りを捧げます。聖週間の典礼が近づくにつれて、私たちは洗礼志願者のために、そして、彼らと共に祈り続け、共に人間としての現実の生活の中で勇気 づけられていきます。イエス様のご受難と死についてのこの時期の四旬節の黙想で、 イエス様のご復活は、私たちの小さな共同体やそれぞれの家庭、そして、今日の私たちの 世界が良いものとなっていく希望のしるしであると、私たちは受けとめます。私たちは、 平和のために祈り続け、希望を持ち続け、働きかけていくのです。今日の福音朗読の ラザロの死からのよみがえりは、イエス様が「復活であり、いのちである。」という事への理解を深めていくものです。

 

今日の朗読のエゼキエルの予言では、神の民を墓からよみがえらせるという神さまの意向/理由について書かれています。それは、死者の骨であふれている谷がよみがえったという 話で、つまり、罪と偶像崇拝のために死んだイスラエルが、神さまの力を認識して、 神さまのうちによみがえったというたとえ話です。神さまの彼らへの意向は、神さまこそ 唯一の神であることを心から知ることなのです。

 

ラザロは、よみがえったすべての人びと、つまり洗礼によってキリストのうちに新しい命を与えられるすべての人びとを象徴しています。少なくとも3つの事について黙想して みましょう。


①    洗礼は、新しい命への入口です。

古い命の時は、私たちの救い主であり、贖い主であるイエス様の事を、私はほとんど

受け入れていませんでした。新しい命となって、キリストの霊をしっかり受け止めるの

です。

②    私たちは、日々の回心へと招かれています。

悔い改めと私たちの主の赦しによって、私はよみがえります。

③    キリストのうちにある新しい命とは、イエス様の救いの使命に参加する事です。

私は、隣人たちに手を差し伸べ、現在の自分の苦しみと同様に、自分の癒しの経験を

隣人たちと分かち合います。

 

今日の第2朗読では、キリストの霊のうちに生きる事について書かれています。人類の持つ本性のある部分は、とても人間的で素早い反応や行動をする事を正当化し、それらはとても普通で自然体であると主張するかもしれません。けれども、「この命」のもっとも深い 意味と目的を追求するという事は、私たちを聖霊のうちにある真の命、すなわちイエス様の救いの使命への参加へを導きます。私たちのうちにあるキリストの霊は、今までに見た事のないものを、私たちに見せてくれる事ができます。人類の持つ本性のある種の破壊的な 一面の自己中心的な表現に応じてしまう事で、私たちは、長い間、自分たち自身や隣人 たちを傷つけ、それ故に、多くの人類の苦しみや死をもたらす事になっているのかも しれません。

 

キリストの霊を持たない者は、キリストに属いていません。

キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、

霊は義によって命となっています。 (ローマ8.10参照)

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