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2026年6月28日・年間第13主日 (A)

Updated: 1 day ago

列王記下 4:8-11, 14-16A・詩編89.2+3, 18+19・ローマ 6:3-4, 8-11・マタイ 10:37-42


年間の典礼暦の中で、今日朗読される聖書のテーマを考えると、かつて私は大変な驚き、 おそれ、そして震えすら感じることがありました。これは、私が20年近く幸いにも エンジョイしてきた司祭生活の断片を拾い集めるような、自己中心的な考えかもしれ ません。皆さんと、私の司祭生活と召命についての短い物語を私は分かち合いたいと思っています。そして、皆さんもご自身の物語を分かち合っていただければ幸いです。私たちは みんな、それぞれが語るべき(分かち合うべき)独自の物語を持っていると心から信じて います。神様が様々な神秘的な方法で働かれることを、私たちが一人ひとり理解できる ようになるのも、まさに神様の恵みによるのです。


私はマニラの南、フィリピンのバタンガス州の片隅で、農家の家庭で育ちました。一見愛情深い家族に囲まれ、私たちも農民でしたが、近所の人々とも楽しく暮らしていたといえる でしょう。故郷での良い思い出もそうでない思い出もたくさんあります。完璧な家族は存在しないと言う人が多いですが、私もその一人です。私は、家族から精神的、霊的、そして 経済的に十分な支援を受けてきたと固く信じています。でも将来、家族が私の妨げになっていると自分自身感じるかもしれない、それは私には分かりません。


私はまだ小さい、6歳の頃から、司祭になりたいという夢を抱いていました。でも家族の 一人が、神学校で勉強するためには「山のような(ものすごい量の)お金」がいるし、無事卒業するにはすごく頭が良くなければならない、などと、まるで夢を諦めさせるような 言葉をかけてきました。当時の私は幼く、世間知らずだったので、真剣に考えることは ありませんでした。とにかく無視していました。


高校卒業後すぐに、神学校の入学試験を受けました。試験合格は不可能に思えました。筆記試験も面接も不合格だったことは分かっていました。でもなぜそうなったか、本当に今でも分かりませんが、1ヶ月後に気づくともう養成施設にいました。


神学校における養成の11年目から12年目にかけて、親戚の一人が近づいてきて、聞いて きました。「一体どんな奇妙な考えが頭に浮かんだの?どうしてそんな愚かなことに人生を費やそうとするの?きっと何も手に入らないのに」と。私は何も言わずに背を向けました。でも一人でいる時に何度か、この親戚の言うことにも一理あるのではないかと考えていた ことを、自分自身には正直に認めざるを得ません。


多くの出来事がこれまで起こりました。そしてこれからも多くの出来事があるでしょう。 多くの経験が分かち合われてきましたが、さらに多くの経験が分かち合われるでしょう。「信仰を生きる」にあたっては、慰められることもがっかりすることも数えきれないほど あります。


私たちの使命、そして短い祈り:



     私たち皆、福音宣教の仲間、支援者、推進者になりましょう。文化や肌の色の違いを 超えて、神の言葉を宣べ伝えましょう。イエスを中心とする限り、私たちは皆、一つの大きな家族だといえます。そして、私たちは祈ります。人生観や価値観の異なる人々の間で、 しっかりした土台のない喜びや、落ち込みを感じる時、主よ、私たちを敵から守り、 あなたのぶどう園の中に、私たちの兄弟姉妹がいることを思い出させてください。彼らを あなたの輝かしい道具として用いてください。彼らが互いに支え合い、あなたに近づいて いく、一つの家族となれるようにしてください。アーメン。



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