top of page
2024年3月31日・復活の主日(B)
使徒言行録10.34a、37-43・詩編118.1+2、16+17、22+23・1コリント5.6b-8・ ヨハネ20.1-9 ご復活の主日は、私たちがイエス キリストのご復活をお祝いする最高の日です。今日は、ご復活の主日であり、年間の教会暦の中で、いわゆる頂点となるこの日をお祝いするために、私たちは共同体として集まります。ご復活祭が教会暦の中で頂点であるとされている事で、十字架が、イエス様がご自身をお捧げになった事と、ご復活された事の最高の意味を持ち、また、イエス様が栄光にお入りになった事で、十字架は、その確かな権限を与えられた事を、私たちは、理解することができます。私たちの信仰は深く根を張り、イエス様が栄光に入られた事(ご復活)によって強められます。私たちは皆、イエス様のご復活によって確かな権限を与えられた十字架に対して、最高の価値を与え続けます。 私たちは、ご復活の主日と、神のいつくしみの主日(復活節第2主日)までの8日間を、復活されたキリストへの溢れる喜びのうちにお捧げします。私たちは皆、イエス様が死と罪に打ち勝たれ、いのち
2024年3月24日・枝の主日(B)
イザヤ50.4-7・詩編22.8+9、17+18、19+20、23+24・フィリピ2.6-11・マルコ14:1-15:47 今日、教会はイエス様の勝利に満ちたエルサレム入城の行列の象徴として、私たちがその 行列に加わる事から始まります。聖週間であるこの週の行事の始まりは、 イエス様が神さまの王国から遣わされた方であり、イエス様の権能は謙虚さからのものである という事への 私たち皆の理解を、もう一度新たにしてくれます。ですから、私たちは、枝の祝福の 典礼に、皆が参加するという事へのより深い意味を知るようにと、常に招かれているの です。十字架が意味するものを根底から覆し、私たちを回心と、この地上で新しい生き方へと奮い立たせ、やる気を起こさせ続けるという、新しい意味をお与えになったイエス様の うちに、私たちは人生を歩み続けましょう。 それ故に今日のミサで、日々の生活の中にある苦しみに対して、もっと忍耐し、努力し 続けるようにという事を、私たちは学びます。忍耐と努力とは、それぞれの家族や友達、 そして、いろいろな人生を歩んでいるその他の人々と共に
2024年3月17日・四旬節第5主日 (B)
エレミア31.31-34・詩編51.3+4、12+13、14+15・ヘブライ5.7-9・ヨハネ12.20-33 ご復活のお祝いまで残すところ1週間となりました。 イエス様が私たちのためになさった事 の意味をもう一度 振り返って みましょう。 今日の私たちのよりはっきりとした意図(目的)は、イエス様が私たちのためになさった事からもたらされた 信仰を 、喜びのうちに私たち一人ひとりが すぐに分かち合う ための意識を高める事です。真に感謝の心を持って生き、分かち合いを続ける事ができますように。 私たちはまた、謙虚な気持ちで日々の生活を送りながら、いくつかの犠牲を 捧げたり、自分たちの言動(主の祈りのような公式に定められているたくさんのお祈りを 祈る事も 含めて)にもっと誠実さや正直さを持つ事で、自分自身と隣人たちのために 素晴らしい事を行う事ができます。確かに、私たちがキリスト者としてもっと成長する ためには、困難な 事ですが日常生活の中で
2024年3月10日・四旬節第4主日(B)
歴代誌下36.14-16、19-23・詩編137.1+2、3+4、5+6・エフェソ2.4-10・ヨハネ3.14-21 共同体として私たち皆で、洗礼志願者のためにお祈りをつつけます。そしてこのご復活祭に洗礼の秘跡を受ける準備をしている私たちの兄弟姉妹たちのために祈るのも、今日で第2週目に入ります。カトリックの信仰を理解するための長い道のりを、洗礼志願者である兄弟 姉妹たちと共に歩んできた共同体の 信徒たちが、すべての洗礼志願者たちのために勇気を持って歩み続ける事ができますように。 四旬節第4主日は、私たちが犯したすべての罪を認める事、そして、私たちの主である イエス様を心の底から受け入れることができていないという事の容認の必要性について、 もっと深く理解させてくれます。もしかしたら、イエス様についての真理の一部分だけを 取り上げたり、自分たちの個人的な都合や利己的な動機によって、イエス様について 自分たちの好きな事だけを選ぶという事は、私たちのイエス様に対する愛が欠如している しるしなのかもしれません。いわゆる利己的な計画や、浅はかな都合の良
2024年3月03日・四旬節第3主日(B)
出エジプト20.1-17・詩編19.8、9、10・1コリント1.22-25・ヨハネ2.13-25 私たちが、大抵の場合、台無しにしてしまうことを、 おお、主よ、あなたはいつも元通りにしてくださいます。 今日、私たちは、特に洗礼の秘跡を受けるための準備をしている洗礼志願者の方々のために祈ります。また、1年間、もしくはそれ以上の時間をかけて、洗礼志願者の方々と共に この準備をされている代父母と入門講座の先生方のためにも祈ります。 四旬節第3主日は、 回心 への招きについて、私たち一人ひとりがもっと深く掘り下げて 黙想するための更なるポイントを与えてくれます。私たちは、ゆるしの秘跡を受ける時、 私たちの過ち(良くない事だとわかっているのに、し続けている事)を絶え間なく認めつつ、同じ過ちを繰り返すことのないようにと、神さまのお恵みを求めます。 今回(四旬節第3主日)は、神さまの戒めを言葉と行動の両方で忠実に生きること, そして、すべての人々に教会の神聖さを示す( もたらす )ために、私たちが貢献でき
2024年2月25日・四旬節第2主日(B)
創世記22.1-2、9a、10-13、15-18・詩編116.9+12、16+14・ローマ8.31b-34・マルコ9.2-10 四旬節第2主日は、キリスト教の信仰の持つ意味をもっと深く理解するために、じっくりと考えるべき多くのポイントを私たちに与えてくれます。信仰と従順、キリスト教においての犠牲、そして、神さまと神さまのご計画への信頼について黙想しましょう。 今日の第一朗読は、アブラハムの揺るぎない信仰と神さまへの従順さについての物語です。私たちは、アブラハムのような深い信仰と従順さを持っていないかもしれませんが、キリストのうちにある生き方を望む私たち一人ひとりにとって、アブラハムの信仰と従順の深さは、じっくりと考える価値があるものです。アブラハムの信仰と従順から学ぶことのできる教えは、信仰のうちに、神さまのご計画に対して全幅の信頼を置く事が必要だという事です。神さまの永遠のいつくしみと豊かな愛は、私たちの信仰の基盤となるものです。私たちが進む道の歩みひとつひとつに、私たちは、すべてを知っておられる神さまへの信頼を置くのです。...
2024年2月18日・四旬節第一主日
創世記9.8-15・詩編25.4+5a、8+9、10+14・1ペトロ3.18-22・マルコ1.12-15 今年の四旬節のためにすべての信徒のみなさんに励ましの言葉をお送りします。私たち皆が、四旬節の呼びかけに対して心を大きく開くことができますように。私たちが、四旬節の40日間の黙想にじっくりと集中できますように。私たちの心を新たにし、悔い改め、ご復活祭のお祝いの準備をするという四旬節の本質を深く理解できるよう、聖霊のお導きの力にすべてをお任せしましょう。 灰の水曜日の典礼のメッセージは、いつも、人類の創生からの謙虚さについて忠実に思い出させてくれます。私たちは、この世に生き、いのちの躍動を大切にしながら、この世への執着ではなく、日々、聖霊のうちにある私たちのいのちのためにはならない全てのものとの関わりを持たないようにしています。ですから、私たちは皆、祈るための時間をもっと持つように、もっと祈るように、絶え間なく祈るようにと勧められているのです。私たちに約束されたキリスト者としての生き方や、神さまの永遠のいつくしみと愛への
2024年2月11日 ・ 年間第6主日(B)
創世記3.16-19 ・ 詩編32.5、10+11 ・ 1コリント10.31~11.1 ・ マルコ1.40-45 イエス様の説教や癒しの御業において、イエス様と癒される人との間で、直接イエス様がその人 の信仰がその人を救ったと言われている事に、時折、気付く事があります。他の言葉で言い換え ると、ここでのイエス様へのその人の信頼が、癒しのために大きな役割を果たしていると言えま す。こう言い換える事で、すぐに私たちは、信仰と信頼なしには、癒しは起こらないであろう と、結論付ける事ができます。ですから、神さまへの信仰と心からの信頼が浅くて、癒しが起こ るには足りないのであれば、神さまが、私たちの信仰と信頼を強めてくださいますように。そし て、神様への信仰と癒しの力への信頼を持っていない兄弟姉妹たちのために、私たちは、彼らの ための神さまの御業を請い願います。 典礼暦の年間という期間に入ってから、私たちは、少なくとも2つの大切なテーマについて黙想 しています。今日は、年間の最後の日曜日なので、これらの2つの大切なテーマについて、もう...
2024年2月4日・ 年間第5主日 (B)
ヨプ7.1-4、6-7 ・ -詩編147.1+2、4+5、3+6 ・ 1コリント9.16-19、22-23 ・ マルコ1.29-39 私たちの中には、教会やお気に入りの祈りの場所に入ると、祈り深い気持ちで、すぐにひざ まずいたり、ただ座って、自分の事ではなく他の人のために、特に肉体的にも感情的にも深く悲 嘆に暮れ、痛みを抱え、自分よりももっと失意の底にある人のために祈る人がいます。私たちの 教会の司牧的な活動のうちに、人々の悲しみ、苦しみ、痛み、嘆きの世界での現実を、私たちは よく理解しています。人生の中でのある時に、これらの事を目の当たりにしたり、これらの痛み をじかに経験して、神さまの優しさと憐れみに対して疑問を持つかもしれません。私は、皆さん に、ヨブがどのようにして、彼の人生の苦難や眠れない夜、そして、不幸な日々を送り続けたの か、もっと聖書を読み、黙想する事をお勧めします。私たちは、ヨブが終わりの時まで、どのよ うにこれらの苦難を受け入れてきたのか、不思議に思うかもしれません。私たちは、ヨブのよう な生き方をしている人が、自分たちの
2024年1月28日 ・ 年間第4主日 (B)
申命記18.15-20 ・ 詩編95.1+2、5+6、7+8 ・ 1 コリント7.32-35 ・ マルコ1.21-28 私が主任司祭をしている横浜司教区の2つの小教区で、第一部門と呼ばれている部門の教会委員 の霊的メンバーとの話し合いと更新を行う際に、他の3つの小教区の同じ部門のメンバーと共 に、私たちの生活の中での福音的勧めの意味する事を、詳しく説明する機会に恵まれました。信 仰生活を送っている修道女、修道者、司祭が、長い間厳しく行ってきた福音的な勧め(純潔、清 貧、従順)が、今では小教区においても、信徒たちの間で公然と分かち合われている事を、各々 が理解するのに有意義な時間でした。また、一方では、結婚しているかどうかにかかわらず、私 たちは、それぞれの人生にいろいろな道があることに気づかされ、他の何人かの人々は独身生活 を受け入れて、尊敬と正しい行い、そして、各々で真に聞くための耳と開かれた心をもって、そ れぞれの人生を歩んでいます。 今日、私たちは、各々の召命の神聖さ (神さまが私たち一人ひとりに呼びかけら
2024年1月21日 ・ 年間第3主日 (B)
ヨナ3.1-5、10詩編25.4+5a, 8+9, 10+14. 1 コリント7.29-31 マルコ1.14-20 今日の典礼のメッセージは、先週(旧約の年間第2主日) に分かち合った聖書の続きと考えるこ とができます。イエス様の司牧的使命を深く掘り下げると、弟子たちの召命が、人々への肉体 的、精神的な癒しを通して、福音を宣べ伝え、奇跡を行うというイエス様の使命の重要な一部分 であった事がわかります。イエス様の行われた奇跡と癒しの実りは、いつも私たちを導き、実 際、いつも私たちの悔い改めと絶え間のない回心につながります。少なくとも、今日の朗読に出 てくるイエス様の弟子であるペトロとアンデレは、まさにイエス様の使命をすぐに理解した弟子 たちのうちの2人です。彼らの素早い応えは、現代においても、私たちの悔い改めと絶え間のな い回心が差し迫ったものであることを示しています。 ですから、現在、私たちは、イエス様がすべての人々にずっと教えて下さっている 「新しい社 会」を、心の底から受け入れるように努力し続けているのです。確かに、イエス様の司
2024年1月14日・年間第2主日(B)
サムエル上3.3b-10、19・ 詩編40.2+4ab、6、10 ・1コリント6.13c-15a、17-20 ・ ヨハネ1:35-42 典礼カレンダーに沿った私たちの教会生活において、今日、私たちは、1つ目の年間の第2主日を迎えます。クリスマスの季節の後の年間と呼ばれている期間は、とても短いです。2番目の年間の期間はもっと長くて、ご復活と待降節の間にあります。確かに私たちは、今までの待降節とクリスマスの間に、退屈することはありませんでした。待降節とクリスマスは、キリストのご降誕の意味することを十分に理解し、そして、教会でそれぞれの家族や友人たちと共に、実際に、そして、ただお祝いするのにふさわしくあるようにと、私たちの意気込みを保たせてくれます。加えて、新年を迎えるという事も、たくさんの人々にとって、決して今までの日々が平凡すぎるという事を連想させるものではありません。 何人かの人々にとっては、「年間」という言葉が作られたことで、教会カレンダーの年間という期間が、特に目立つような事や興味や特別な事がなくて、退屈してしまうかもしれ
2024年1月7日・主の公現 (B)
イザヤ60.1-6 ・詩編72.2+4、7+8、10+11、12+13 ・ エフェソ3.2、3b、5-6 ・ マタイ2.1-12 今日は、 主の公現 の祭日です。神さまが私たちにお現われになった、4つの偉大なるご出現のうちの2番目のご出現です。今日の典礼で、主の公現という言葉が使われていますが、主の公現という言葉は、他の3つの偉大なるご出現にも当てはまる言葉です。 クリスマス(キリストのご降誕)を、4つの神さまの偉大なるご出現のうちの1つとして考えることを、私たちは重要視していなかったかもしれません。 キリストのご降誕 とは、神さまがご自身を生れたばかりの幼子の姿でお現しになったという事なのです。神さまは、住むところがなく、とにかく貧しい(貧困)環境の中でお生まれになるという形で、ご自身を明らかにされ、お示しになりました。 少なくとも今年のカレンダーでは、主の公現の翌日である1月8日月曜日に、神さまの3つ目の偉大なるご出現、すなわち、主の洗礼のお祝い( 神の顕現, マルコ1:11参照)をします。イエス様が、ヨルダン川で洗礼者聖ヨハネによって洗礼
2024年1月1日・神の母聖マリア (B)
みなさん、新年おめでとうございます。 1月1日は、私たちカトリックのキリスト者にとって、一年の初めの日だけではありません。私たちは、神の母聖マリアの祭日としてお祝いします。真の神であり、真の人となられたイエス様は、マリア様からお生まれになりました。 私たちは、マリア様の事をどれくらい知っているでしょうか…. マリア様は、真の神であり、真の人となられたイエス様のお母さまです。私たちは、神の母聖マリアにもっと感謝し、真の神であり、真の人となられたイエス様が、家族の一部となられたことをもっと理解しましょう。 ですから、一年の最初の日は、主の降誕の情景では外見的に貧しい家族の子どもとしてお生まれになったイエス様が、どのようにマリア様と兄弟たちが神さまのみことばと聞き、実践する者であると後に宣言されたのかについて、私たちがさらに深く黙想するようにと導きます。(ルカ8:19-21参照)マリア様のこどもであるイエス様の宣言について、マリア様がその模範となられたので、私たちは、マリア様に心から感謝しています。マリア様の偉大なところは、..
2023年12月31日・聖家族 (B) -
創世記15.1-6、21:1-3 ・ 詩編105.1+2、3b+4+5、6+7+8a+10b ・ ヘブライ11. 8、11-12、17-19 ・ ルカ2. 22-40 みなさま、主のご降誕おめでとうございます。 信仰・希望・愛と平和がみなさまの家庭にありますように。 私たちが聖家族の祝日をお祝いする前、つまり待降節の最後の週、あるいは、クリスマスイブから、私たちの多くは、家族の問題について黙想し、話し合う傾向にあります。私たちが家族の問題について話し合う傾向にあるという事は、私たち皆が家族を、そして、家族の生活をとても重要だと考えている事を単純に示しています。ですから、家族が自分たちの社会での基礎になっている事を、私たちは真に認めています。 私たちは、飼い葉桶に聖家族、つまりイエス様とマリア様とヨセフ様のお姿を見出し、日々の自分たちや家族の生活が意味するものを見つけます。私たちが、マリア様とヨセフ様とご一緒におられるイエス様のお姿を見出す一方で、このクリスマスの期間は、私たち自身の家族の生活の質を振り返るのに絶好の機会です。クリスマスの期間は、私
2023年12月25日・主の降誕(B)
・ 主の降誕(夜半) イザヤ9.1-3、5-6 ・詩編96.1+2、11+12、9+13・ テトス2.11-14 ・ルカ2:1-14 ・ 主の降誕(日中) イザヤ52.7-10・詩編98.1、2+3a、4+5・ヘブライ1.1-6・ヨハネ1.1-18 この世界と私たちの心におられるキリストの偉大なる光を祝う クリスマスの中心的テーマである神さまが人としてこの世においでになったという事は、神さまがイエス キリストという人間の姿をとられた事への信条であり、私たち皆にとって感謝すべき現実です。私たちは、一般的に、神さまの愛といつくしみが主の降誕に表れていると理解しています。ですから、神さまの愛の深さと、神さまの愛が、私たち一人ひとりにとって身近なものとなる事について、私たち皆が黙想するようにと招かれています。クリスマスの間、私たちの心の中にすぐに思い浮かぶ事は、キリストのご降誕によってもたらされた平和と和解についての天使たちからのメッセージです。私たちは、お互いに、クリスマスのお
2023年12月24日・待降節第4主日(B)
サムエル下7.1-5、8b-12, 14a-16 ・詩編89.21+22、25+27、29+35 ・ ローマ16. 25-27・ ルカ1.26-38 待降節第4主日の後、数時間で 喜びに満ちた主の降誕のお祝いがあります。 今年2023年では、待降節第4主日の日にクリスマスイヴがあります。クリスマスイヴのミサの準備をしたり、キリスト者の家族皆が家に集まって夜遅くの食事をしたり、真夜中の食事をするのに、数時間しかありません。実際に、私たちは皆、クリスマスをお祝いするという伝統を守り続けることを勧められています。しかしながら、クリスマスの外見上のお祝いをする方法はたくさんあり、これらの方法は、私たちがいる場所によって異なってくるかもしれない事を知っています。家族や自分たちの小教区の共同体と一緒にお祝いするという事は、クリスマスのお祝いをどのように喜びに満ちたものにするのかというたくさんある方法のうちのひとつです。けれども、私たちが忘れてはならないお祝いの中心となるのは、常にキリストが人としてこの世においでになられた事、神さまがイエス様を通して人となられ
2023年12月17日・待降節第3主日(B)
イザヤ61.1-2a、10-11・ルカ1.46-55・1テサロニケ5.16-24・ヨハネ1.6-8、19-28 私たちの共同体の年配の方々は、待降節が悔い改めの季節であったことを、今も覚えておられるかもしれません。それは、イエス様が再びおいでになる時のための準備として、回心する事を求められていることが強調されていたからかもしれません。確かに、イエス様の再臨は、キリスト者としてより良い生き方をするために最善を尽くすうえで、私たちの希望となるより大きな出来事です。待降節第3主日は、待降節が満ち溢れる喜びのうちに待つための期間であることを、私たちに思い出させてくれます。ですから、待降節の間にイエス様の再臨についてのこれらの「出来事」があったならば、私たちが地上で生きている間に、神さまが私たちを導いて下さった場所に対して、しっかりと心を開き準備している限り、私たちはイエス様の再臨を待ち望み、喜びに満ち溢れることができます。 もうすでに待降節第3主日を迎えているので、喜びのうちに待つことを思い起こすことで、私たちは今、どのようにキリスト者としての生き方(キ
2023年12月10日 ・待降節第2主日(B)
待降節第2主日では、砂漠から現れた洗礼者聖ヨハネが、水によって人々に洗礼を授け、イ エス様が聖霊のうちに授けて下さる本当の洗礼について人々に説き、イエス様がおいでになるた めの準備として、人々に悔い改めるよう招いている姿を、私たちはイメージしています。洗礼者 聖ヨハネの時代の「主がおいでになるために準備する」という概念は、人々がイエス様が奇跡 を行われ、病人を癒され、飢えている人々を満たされることの証人となる上で、イエス様の公生 活の始まりのとても大きな衝撃に対して、必要となる準備と覚悟すことへの招きを意味して いるに違いありません。さらに、イエス様について、そして、イエス様が広めようとされていた 新しい社会についての全ての真実を知り、完全に受け入れるという真の挑戦がありました。 待降節のこの期間に、洗礼者聖ヨハネは、私たちの模範となります。私たちは、あらゆる 人々がキリスト者としての生き方をすることができることを、はっきりと示すようにと招かれて います。私たちは、水と聖霊による洗礼によって、私たちよりも偉大な方に奉仕する使者となり.
2023年12月3日・待降節第1主日(B)
マルコ 13:33-37 今日から、教会暦の初めにある待降節になります。 新しい一年、おめでとうございます。 私たちは、4週間の待降節の黙想のためによく準備された象徴としてのアドベントリースを、ほとんどの小教区で見ることができます。私たちは、アドベントリースの4本のロウソクによって、クリスマスへと導かれ、教会暦での新しい年の待降節の4つの主日の始まりを知ることができます。私たちが今まで知らなかった、そして、アドベントリースがその他にも象徴しているものに対して、もっと心を向けるようにしましょう。 目に見える形での神さまの存在のうちに、私たちの生き方の意味することや、私たちが進むべき方向について、もっと理解できるためには、神さまが私たちのもとに目に見える形でおいでなることが必要でした。地上でのイエス様の生き方は、私たちと神さまとの関係を修復し、私たちの生活の中でイエス様を中心にし続けるための励ましを、私たちに与えてくださいます。 待降節第一主日の朗読は、「訪れと、希望」いうテーマの意味するものを、私たちに早くから理解さ
bottom of page




