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2024年1月7日・主の公現 (B)
イザヤ60.1-6 ・詩編72.2+4、7+8、10+11、12+13 ・ エフェソ3.2、3b、5-6 ・ マタイ2.1-12 今日は、 主の公現 の祭日です。神さまが私たちにお現われになった、4つの偉大なるご出現のうちの2番目のご出現です。今日の典礼で、主の公現という言葉が使われていますが、主の公現という言葉は、他の3つの偉大なるご出現にも当てはまる言葉です。 クリスマス(キリストのご降誕)を、4つの神さまの偉大なるご出現のうちの1つとして考えることを、私たちは重要視していなかったかもしれません。 キリストのご降誕 とは、神さまがご自身を生れたばかりの幼子の姿でお現しになったという事なのです。神さまは、住むところがなく、とにかく貧しい(貧困)環境の中でお生まれになるという形で、ご自身を明らかにされ、お示しになりました。 少なくとも今年のカレンダーでは、主の公現の翌日である1月8日月曜日に、神さまの3つ目の偉大なるご出現、すなわち、主の洗礼のお祝い( 神の顕現, マルコ1:11参照)をします。イエス様が、ヨルダン川で洗礼者聖ヨハネによって洗礼
2024年1月1日・神の母聖マリア (B)
みなさん、新年おめでとうございます。 1月1日は、私たちカトリックのキリスト者にとって、一年の初めの日だけではありません。私たちは、神の母聖マリアの祭日としてお祝いします。真の神であり、真の人となられたイエス様は、マリア様からお生まれになりました。 私たちは、マリア様の事をどれくらい知っているでしょうか…. マリア様は、真の神であり、真の人となられたイエス様のお母さまです。私たちは、神の母聖マリアにもっと感謝し、真の神であり、真の人となられたイエス様が、家族の一部となられたことをもっと理解しましょう。 ですから、一年の最初の日は、主の降誕の情景では外見的に貧しい家族の子どもとしてお生まれになったイエス様が、どのようにマリア様と兄弟たちが神さまのみことばと聞き、実践する者であると後に宣言されたのかについて、私たちがさらに深く黙想するようにと導きます。(ルカ8:19-21参照)マリア様のこどもであるイエス様の宣言について、マリア様がその模範となられたので、私たちは、マリア様に心から感謝しています。マリア様の偉大なところは、..
2023年12月31日・聖家族 (B) -
創世記15.1-6、21:1-3 ・ 詩編105.1+2、3b+4+5、6+7+8a+10b ・ ヘブライ11. 8、11-12、17-19 ・ ルカ2. 22-40 みなさま、主のご降誕おめでとうございます。 信仰・希望・愛と平和がみなさまの家庭にありますように。 私たちが聖家族の祝日をお祝いする前、つまり待降節の最後の週、あるいは、クリスマスイブから、私たちの多くは、家族の問題について黙想し、話し合う傾向にあります。私たちが家族の問題について話し合う傾向にあるという事は、私たち皆が家族を、そして、家族の生活をとても重要だと考えている事を単純に示しています。ですから、家族が自分たちの社会での基礎になっている事を、私たちは真に認めています。 私たちは、飼い葉桶に聖家族、つまりイエス様とマリア様とヨセフ様のお姿を見出し、日々の自分たちや家族の生活が意味するものを見つけます。私たちが、マリア様とヨセフ様とご一緒におられるイエス様のお姿を見出す一方で、このクリスマスの期間は、私たち自身の家族の生活の質を振り返るのに絶好の機会です。クリスマスの期間は、私
2023年12月25日・主の降誕(B)
・ 主の降誕(夜半) イザヤ9.1-3、5-6 ・詩編96.1+2、11+12、9+13・ テトス2.11-14 ・ルカ2:1-14 ・ 主の降誕(日中) イザヤ52.7-10・詩編98.1、2+3a、4+5・ヘブライ1.1-6・ヨハネ1.1-18 この世界と私たちの心におられるキリストの偉大なる光を祝う クリスマスの中心的テーマである神さまが人としてこの世においでになったという事は、神さまがイエス キリストという人間の姿をとられた事への信条であり、私たち皆にとって感謝すべき現実です。私たちは、一般的に、神さまの愛といつくしみが主の降誕に表れていると理解しています。ですから、神さまの愛の深さと、神さまの愛が、私たち一人ひとりにとって身近なものとなる事について、私たち皆が黙想するようにと招かれています。クリスマスの間、私たちの心の中にすぐに思い浮かぶ事は、キリストのご降誕によってもたらされた平和と和解についての天使たちからのメッセージです。私たちは、お互いに、クリスマスのお
2023年12月24日・待降節第4主日(B)
サムエル下7.1-5、8b-12, 14a-16 ・詩編89.21+22、25+27、29+35 ・ ローマ16. 25-27・ ルカ1.26-38 待降節第4主日の後、数時間で 喜びに満ちた主の降誕のお祝いがあります。 今年2023年では、待降節第4主日の日にクリスマスイヴがあります。クリスマスイヴのミサの準備をしたり、キリスト者の家族皆が家に集まって夜遅くの食事をしたり、真夜中の食事をするのに、数時間しかありません。実際に、私たちは皆、クリスマスをお祝いするという伝統を守り続けることを勧められています。しかしながら、クリスマスの外見上のお祝いをする方法はたくさんあり、これらの方法は、私たちがいる場所によって異なってくるかもしれない事を知っています。家族や自分たちの小教区の共同体と一緒にお祝いするという事は、クリスマスのお祝いをどのように喜びに満ちたものにするのかというたくさんある方法のうちのひとつです。けれども、私たちが忘れてはならないお祝いの中心となるのは、常にキリストが人としてこの世においでになられた事、神さまがイエス様を通して人となられ
2023年12月17日・待降節第3主日(B)
イザヤ61.1-2a、10-11・ルカ1.46-55・1テサロニケ5.16-24・ヨハネ1.6-8、19-28 私たちの共同体の年配の方々は、待降節が悔い改めの季節であったことを、今も覚えておられるかもしれません。それは、イエス様が再びおいでになる時のための準備として、回心する事を求められていることが強調されていたからかもしれません。確かに、イエス様の再臨は、キリスト者としてより良い生き方をするために最善を尽くすうえで、私たちの希望となるより大きな出来事です。待降節第3主日は、待降節が満ち溢れる喜びのうちに待つための期間であることを、私たちに思い出させてくれます。ですから、待降節の間にイエス様の再臨についてのこれらの「出来事」があったならば、私たちが地上で生きている間に、神さまが私たちを導いて下さった場所に対して、しっかりと心を開き準備している限り、私たちはイエス様の再臨を待ち望み、喜びに満ち溢れることができます。 もうすでに待降節第3主日を迎えているので、喜びのうちに待つことを思い起こすことで、私たちは今、どのようにキリスト者としての生き方(キ
2023年12月10日 ・待降節第2主日(B)
待降節第2主日では、砂漠から現れた洗礼者聖ヨハネが、水によって人々に洗礼を授け、イ エス様が聖霊のうちに授けて下さる本当の洗礼について人々に説き、イエス様がおいでになるた めの準備として、人々に悔い改めるよう招いている姿を、私たちはイメージしています。洗礼者 聖ヨハネの時代の「主がおいでになるために準備する」という概念は、人々がイエス様が奇跡 を行われ、病人を癒され、飢えている人々を満たされることの証人となる上で、イエス様の公生 活の始まりのとても大きな衝撃に対して、必要となる準備と覚悟すことへの招きを意味して いるに違いありません。さらに、イエス様について、そして、イエス様が広めようとされていた 新しい社会についての全ての真実を知り、完全に受け入れるという真の挑戦がありました。 待降節のこの期間に、洗礼者聖ヨハネは、私たちの模範となります。私たちは、あらゆる 人々がキリスト者としての生き方をすることができることを、はっきりと示すようにと招かれて います。私たちは、水と聖霊による洗礼によって、私たちよりも偉大な方に奉仕する使者となり.
2023年12月3日・待降節第1主日(B)
マルコ 13:33-37 今日から、教会暦の初めにある待降節になります。 新しい一年、おめでとうございます。 私たちは、4週間の待降節の黙想のためによく準備された象徴としてのアドベントリースを、ほとんどの小教区で見ることができます。私たちは、アドベントリースの4本のロウソクによって、クリスマスへと導かれ、教会暦での新しい年の待降節の4つの主日の始まりを知ることができます。私たちが今まで知らなかった、そして、アドベントリースがその他にも象徴しているものに対して、もっと心を向けるようにしましょう。 目に見える形での神さまの存在のうちに、私たちの生き方の意味することや、私たちが進むべき方向について、もっと理解できるためには、神さまが私たちのもとに目に見える形でおいでなることが必要でした。地上でのイエス様の生き方は、私たちと神さまとの関係を修復し、私たちの生活の中でイエス様を中心にし続けるための励ましを、私たちに与えてくださいます。 待降節第一主日の朗読は、「訪れと、希望」いうテーマの意味するものを、私たちに早くから理解さ
2023年11月26日・王であるキリスト(A)
11月26日・王であるキリスト(A) エゼキエル34:11-12、15-17 詩編23:2+3、5、6 1コリント15:20-26、28 マタイ25:32-46 王であるキリストは中心におられ、 全ての私たちは集まり、ひとつになる。 毎週日曜日のミサに与る事は、洗礼を受けた全てのカトリックの信徒たちにとっての義務であると、私たちは教えられています。けれども、日曜日のミサに与るカトリック信徒は、全体の50パーセントにも満たないというのが、多くの小教区での現実です。私たちは、一人ひとりのそれぞれの理由と共に、いくつかの共通した要因を知っておかなくてはなりません。「千個の希望」と深められる信仰によって、私たちは皆、神さまのみことばを聞き、キリストの御からだをいただく大きな共同体として、共に集まり、そして、私たちの信仰生活を真にお祝いします。ただし、私たちの現在の教会でのこの現実において、私たちは、私たちを包み込んでいる聖霊の働きを損なうことはできません。教会は生きていて、共同体のそれぞれの信徒たちは、私たち一人ひとりと共同体の生活、そして、それぞれ
2023年11月19日・年間第33主日(A)
箴言31:10-13、19-20、30-31 詩編128:2+3ab、3cd+5+6a 1テサロニケ5:1-6 マタイ25:14-30または25:14-15、19-21 神の国のための働きを行うために、 私たちがすでに持っているものでお応えしましょう。 私たちが先週に分かち合ったことから始めて、神の国についての黙想を続けましょう。神の国の完全な一員となるためには、私たち皆がイエス様が教えて下さったことをよく理解することを求められます。真に賢くなるということは、偽善や中途半端なことに相反する、意義のあるキリスト者としての生き方をすることであると、私たちは知るようになるでしょう。天国の一員であると言い切っているのに、自分に対して真に正直になれない人は、賢い人ではなく愚か者です。真に賢くない人(自分のためだけに賢く見える人)は、キリスト者であるということに対して、間違った理解をしているのかもしれません。 それぞれの信仰共同体に属している人は、私利私欲と 自己中心 ではなく 、いつも 共同体のために良いことを考えています 。今日の朗読は、 神の
2023年11月12日・年間第32主日(A)
知恵6.12-16; 詩編63. 2、3+4, 5+6; 1テサロニケ4. 13-18; マタイ25. 1-13 真に賢くて、思慮深い人々 教会でのこの時期(教会暦の最後から待降節第2週までの間)に限るものではないかもしれませんが、 私たちは、この地上での最後の時のための準備/用意をするようにと召されています 。街頭やいろいろな場所で、人々に彼らのグループに入るようにと説いている他のキリスト教徒のグループ(カトリックではないキリスト教徒)さえあります。基本的に、終末が近づいているという考えに基づいて、彼らは人々を説得しています。同時に、彼らのグループの仲間になることによってのみ、一人ひとりが救われると納得させています。いくつかのグループでは、終末の具体的な日付の預言さえもしています。 実際、私たちカトリック信者も、 早く回心する ようにと召されています。私たちは、いつイエス様が再びおいでになるかを知らないからです。何人かの人々は、それぞれの 最終的な目的地 は、 自分たちの用意 にかかっていると思っているかもしれません。この準備や用
2023年11月5日・年間第31主日(A)
マラキ1.14b-2、2b、8-10 ・ 詩編 131.1+2ab、2cd+3 ・ テサロニケ1 2:7b-9、13・ マタイ 23:1-12 イエス様は私たちの偉大なる、ただおひとりの師であり先導者。 私たちに教え、私たちにも先導できるように導いてくださる方 私たちは、マタイの福音朗読を通して、イエス様とファリサイ派の人びととの間での確執について学んできました。イエス様が地上におられた時の宗教的先導者たちの考え方や行いは、とても傲慢で偽善に満ちていました。 今日の私たちの典礼のテーマ は、教会での 統率力についての正直な振り返りへと、私たちを立ち戻らせてくれる ものです。 すべての教会の先導者たち が説いている教えを、先導者たち自身が実践することができるよう、 皆で祈りましょう 。 皆の模範として導く ことは、統率力のとても重要な一面/観点です。時が経つにつれて、先導者たちが自信を持って、あるいは、多少傲慢に先導している事を、自分では実践しなくなるという問題が繰り返されるようになります。 この問題についてもっと深く考えてみると、一
2023年10月29日・年間第30主日(A)
出エジプト22. 20-26・詩編18. 3, 23+25, 47+50・ 一テサロニケ1. 5c-10・マタイ22. 34-40 “愛する”という言葉はすべての言語において、最も「覚えやすい」言葉かもしれません。愛情がなくなるということは、多分、たくさんの事柄の中で本当にあり得ない事のひとつですし、誰もが絶対に望まない事かもしれません。信仰溢れるキリスト者は、基本的に愛の存在が神さまの存在のしるしであると信じています。たしかに、“愛する”ということは、私たちの日々の生活の中心です。そして、まさに、愛の教えはキリスト教のメッセージの中心なのです。けれども、キリスト教の考え方では、愛という言葉はたくさんの意味を持っていて、実際に感情的な愛や恋愛の愛について語ることはしません。私たちには、旧約聖書の時代から現在に至るまで守られている十戒があります。この十戒の解釈は、最近のたくさんの書物によって記されています。 イエス様は、今日の私たちが十戒についてちゃんと理解するようにと望んでおられます。イエス様は、“心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし
2023年10月22日・年間第29主日(A)
イザヤ 45:1,4-6、詩編 96:3+4,7+8,9+13、テサロニケ1 1:1-5、マタイ22:15-21 もう二重国籍はない。 神の国の国籍 私たちは、ここ数週間で、神の国(天国)のイメージのついて黙想してきました。(1) 今、現在 、そして、(2) 神さまがすべてを完成され、完全なものとされる時 に、神の国のより良い国民であるためにはどうすれば良いのかについて、私たちは学び続けています。先週の日曜日に、私たちは、天国へ向かって旅する信仰共同体の一員としての各々の役割について、分かち合い、どうにか深く理解することができました。 それでは、「然るべき時」のための 私たち各々の役割について、いくつかの大切な事柄 を、もう一度挙げてみましょう。私たちは、 教会の「全般的な特徴」 ( すべての人々 に対して教会の扉が再び開かれること、 すべての人々 に対してより多くの人々が使うことができる座席が与えられること)を思い返しました。私たちは、自分たちの教会の内側にある 祈りに満ちた環境を守り続けることの大切さ を思い起こしました。私たちは、.
2023年10月15日・年間第28主日(A)
イザヤ25.6-10・詩編23. 2 + 3、5、6・フィリピ4.12-14、19-20・マタイ22.1-14 自己満足しているキリスト者・熱心なキリスト者 天の国への旅 今日の聖書朗読も、天の国とは何なのかについて説明がなされています。 天の国 は、真の充実と幸せを保障できないことへの たくさんの懸念と不安に人々が縛られている状態 とは 矛盾 しているものとして、説明されることがよくあります。ですから、今日の朗読では、 私たち皆に対して、神さまが準備されているすばらしいもの を思い起こさせてくれます。これらのすばらしいものは、世の中が与えることのできるものを遥かに超えているに違いありません。神さまの招きとは、真の充実と幸せの保証ができる物事や生き方を私たちがもっとよく知るために、ただ神さまに向かって進み、聴くことです。この招きとは、私たちに準備されたものを受け取るに値する者になることなのです。 天の国は、婚宴として描かれています。私たちは皆、この結婚の祝宴に出席するようにと招かれています。この祝宴に私たち皆が出席する時、聖なる生き方をす
2023年10月1日・年間第26主日(A)
エゼキエル18.25-28・詩編25.4+5a、8+9、10+14・フィリピ2.1-11・マタイ21.28-32 すべてのいのちを守るための月間(9月1日―10月4日) 守られない約束より実際の行動 ・ 神さまの優しさへの私たちの応え 今日の黙想に関して、悔い改めた罪びとは、天の王国の真価について心配することは何もないということを、私たちが理解するために、 先週のミサの朗読での教え を、神さまの正義のうちに深く考える事は役に立ちます。神さまがすべての人々に対して等しく愛をお与えくださる事は、神さまの優しさと真の正義を私たちにお示しになる神さまのなさり方です。 神さまの正義について、さらなる教えがあります。神さまの正義は、罪びとを罰し、正しい人を寵愛されるといった単純なものから起因しているのでは決してありません。神さまは、罪びとに対しても、愛といつくしみを絶え間なくたくさんお与えになるからです。つまり、罰とは、神さまから与えられるものではなく、罪を犯した人の罪深さ(人は罪を犯したことに対して、自分自身を罰します。)から来ているのです。ですか
2023年9月24日・年間第25主日(A)
イザヤ55:6-9、詩編145:1+3、8+9、17+18、フィリピ1:20c-24、27a、マタイ20:1-16 すべてのいのちを守るための月間 (2023年9月1日-10月4日) 神の優しさ、そして、すべての人々一人ひとりの基本となる価値 神さまの優しさ/寛大さの豊かさを私たちが黙想する時、信仰の子は、確かに神さまのお考えは私たちの考え方とは違うという事を、ただ単純に受け入れるかもしれません。神さまは、私たちが行うのとは違う種類の正義をお持ちです。神さまは、天国の全ての聖人を愛しておられ、そして、まったく同じ愛を持って私たち一人ひとりを愛してくださいます。ですから、この愛が私たちへの神さまの愛に到達する時、皆が神さまの子どもたちとして見なされ、神さまの平等の愛をお受けする資格を持てるので、私たちは謙虚に感謝の気持ちを込めてひれ伏します。 しかしながら、いくつかの批判的な考えを持った人々は、一見「 神さまの不平等な正義 」に思われることに対する、彼ら自身の疑問に答えるために多くの時間を費やすかもしれません。神さまの真の考え方が、どれくらい私
2023年9月17日 · 年間第24主日(A)
シラ27・30-28・7、詩編103・3+4、8+13、11+12、ローマ14・7-9、マタイ18・21-35 すべてのいのちを守るための月間 (9月1日-10月4日) 今日の私たちの短い黙想のために、答唱詩編のことばは、今日のその他の全ての朗読に対しての各々の理解が明らかになるための、とても基礎的な中継地点となり得ます。私たちは、私たちの罪をおゆるしくださり、悪い感情・痛み・悪意があるように思われる心のために破滅の危機にある人びとに、救いをもたらしてくださる神さまについての基本的な知識を与えられています。冷静さ、自制心、隣人への溢れる愛、心の平和、謙虚さなどすべては、私たちの癒し手である神さまの救いの業によって、絶え間なく溢れ出ています。これは、命あるすべてのものに対して、私たちを神さまの子どもとして、私たちの命をお守りくださる神さまの御業です。 今日の第一朗読と第二朗読の両方に書かれている強さと懇願は、 自分のために死ぬことと主のために生きること という人生の目的を受け入れ、大切にするようにと私たちを導いています。 私たちの憤り/復讐と怒りを
2023年9月10日・年間第23主日(A)
すべてのいのちを守るための月間(9月1日~10月4日) エゼキエル33.7-9、詩編95.1+2、5+6、7+8・ローマ13.8-10、マタイ18.15-20 すべてのいのちを守るための月間(9月1日~10月4日 ) 今日の私たちの 朗読(聖書からの一節) だけではなく 、私たちの毎日の 聖書(聖霊の導きを受けた人によって書かれたもの)の朗読(読むという行い) も、 私たちに心を変化させるように働きかけます 。たくさんの、そして異なる聖書の一節の文脈と背景から、私たちは回心するようにと後押しされているのです。今日の典礼の中心となるテーマは、私たち皆が 兄弟姉妹たちの共同体としての教会に所属することに対しての各々の意識 について語っています。ですから、他の信者たちに手を差し伸べること、共同体としての責任をもっと強く持つこと、そして、各々が霊的な行路(神さまとの関係)を支えることに対して、私たち皆がどこまで自分自身を捧げてきたのか、自分たちの心についてよく考えるようにと招かれています。つまり、今日、私たちは、 兄弟姉妹たちの共同体として
2023年9月3日・年間第22主日(A)・ 被造物を大切にする世界祈願日
エレミア20・7-9、詩編63・2、3+4、5+6、ローマ12・1-2、マタイ16・21-27 被造物を大切にする世界祈願日 すべてのいのちを守るための月間 (9月1日~10月4日) 教皇フランシスコは、9月1日を被造物を大切にする世界祈願日としてお定めになりました。私たちは、今日すべてのいのちを守るための祈りをお捧げします。今年の具体的なテーマは、アモス書の「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。」(アモス書5・24)からきています。つまり、私たちのテーマは「正義と平和を大河のように。」です。教皇フランシスコの今年の世界祈願日ための祈りの主旨は、すべての被造物との関係を更新するよう、私たちに勧めています。私たちの希望は、私たち皆がもはや被造物を利己的に利用するための対象としてみなすのではなく、すべての被造物を私たちの創造主からの神聖な贈り物として、大切にし守ることです。私たちは、子供たちや若い人びとへの環境を守るための教育を推奨するようにと勧められています。地方自治体や、その他の環境保護のために尽くしている様
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