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メッセージ

聖マルティンの言葉に衝撃を受け、目が覚めました。掃き掃除や野菜の皮むき、庭の草刈り、病気の人のために尽くすといったとても単純な行ないでさえも、神さまにお捧げすることで祈りとなるのですから...。彼の奉献のこの単純な行ないは、私にできる全ての行ないによって奉仕をするようにという召命を受け入れるようにと導いてくれました。


  大村ジェニーより

 


                                 

「サンマルティン・デポッレスの祈りの会」に入れて頂いている鎌田ひとみです 。今関西の夫と離れ母の介護生活を送っています。お陰様で母は99才ですがどうにかまだ歩けます。母は私と夫とのライン俳句会をするのが何よりの喜びのようでその時だけは句歴80年の厳しい母に変ります。

 

「七曜を母と 暮らせり雨蛙」、「雛飾る母を動画に納めたる」 。こんな句ばかりついつい作る私です。穏やかをモットーとしている今の生活ですが、耳の遠くて母に対して、どうしても声を上げてしまう事が有りまります。

 

聞こえない母に聞こえるようにと大声で話 す事はまるでとなりつけているようで辛いのです。母に優しい物言が出来なかった時は自己嫌悪におちいってしまいます 一日のしめくくりは、神に祈り、取マルティンに祈って、明日はもっと優しい物言が出来ますように 力をかして下さいと祈ります。

 

「聖マルティン・デ・ポッレスの生涯」の本を読み 聖マルティン・デ・ポッレスの忍耐さ・強さ・平等さ ・ 頭の良さ, そして何よりそれを喜びとして神に全てをお捧げする信仰 を思う時私はこのまま聖マルティン・デ・ポッレスにおすがりして母を

最後まで幸せにし たいと思います。

           鎌田ひとみより



                                  

 ​​私は、数年前まで聖マルティンの事を全く知りませんでした。神さまのお導きですね。

今は、彼の生き方が、私の大きな目標となっています。私は、子供の頃から「〇〇してあげる」という表現が大嫌いでした。誰かからそう言われると、どうしても素直に受け入れる

ことができなくて、何だか、とても偉そうに聞こえて、でも、時々、自分でも誰かに言っていて、そんな時は自己嫌悪に陥るのです。


そして、困っている人、手助けが必要な人に対して、私にできることをしたいといつも

思っているのですが、ふと「これは、自己満足なのでは?」「相手に対して、自分と比較

して優劣をつけてしまってはいないか?」「偽善者になっていないか?」などなど、

いろいろな考えが頭の中でぐるぐる回ってしまい、どうすればよいのか、メビウスの輪にはまってしまって答えを見つけることができませんでした。けれども、今は、その頃より、

答えを少しだけ見つけることができたように思います。そう、聖マルティンと出会って

から、彼の徹底した無私無欲で謙虚な生き方という大きな目標を見つけることができたからです。私には、とても大きすぎて叶わぬ目標かもしれませんが、聖霊の導きという

道しるべに助けられながら、前に向かって進んでいきたいと思います。

長谷川直子より



まずは私の簡単な自己紹介を申し上げます。

私は戦前に京都市内に生まれたOLDMANです。

小学校一年生の時、第二次大戦が始まり、そして六年生の夏、広島、長崎に原子爆弾が投によって敗戦国となりました。戦争が終わって急に「民主主義」という言葉が盛んに飛び交う中、生活面では恐ろしい程の食糧不足となり、飢餓状態になりました。食欲真っ盛りの年齢です、しかも6人の兄弟でした、親は自分は食べずに子供を育てたと思います。この様にして育ててくれた両親に今も感謝しています。

 

​戦時中の授業の中で「国史」と言う科目がありました、教科書は神代の時代から始まり戦国時代の 織田信長、豊臣秀吉の頃になりますと、南蛮、耶蘇教、バテレンという文字が出てくる様になり、禁教令、バテレン追放令と、私も悪い印象を持つ様になりました。

50年前、「カトリック」の洗礼を授かるとは思いもよらぬ事でした。洗礼後50年の時間が

経ちましたが信仰は浅く、ただ「神様に生かされている」事を信じて「神様に感謝」を

念頭に生活しています。エクソール・アルセ(イソ)神父さまの日本での初めての担当教会が私の所属している滋賀県の「唐崎教会」でありました。日本語が堪能で私達との対応も上から目線でなく対等な目線で信者に接して下さいました。

  

神父様が子供の時からの憧れと尊敬されていた「聖マルチンデポッレス」を生涯の目標

として、心に苦しみを持っている多くの人達の癒しの場として「サンマルティンデポッレス祈りの会」を立ち上げられた事に共鳴賛同すると共に、聖マルティンの導きによって歩み

続けられれば幸せなこと思っています。  

今井章夫より

                          


                                  

幼い頃からずっと京都に住んでいます。7~8年前になりますが、私はそこで一人の若い

フィリピン司祭に出会いました。いつ会っても司祭の目は、神に向けられているように見えました。とりわけ病者や傷ついた人たちに寄り添う時には、自分を忘れられているように

感じました。

最近になって「子どもの時から司祭に至る今まで、聖マルティンデポッレスは好きで最も

心惹かれる聖人です」と言われるのを聞いた時、神父さまのこれまでの有り様も思い合わせ、深く頷けるものがありました。そして神父さまとの出会いは、私にとっては神の案内のもとで、聖マルチンへと真っ直ぐに続く道だったと思えるのです。​

これまで過ごしてきた目まぐるしい時間(親の看とり、困難な子育て、長年にわたる夫の

介護と死)は、神へと近づくための道として備えられていたのでしょうか。随分年を取り

ましたが、今はとても満たされて、静かな(平和な)毎日を送っています。これからは

神父さまの導きで「サンマルティン祈りの会」のもと、聖人に倣いながら、終生, 神に従い歩み続けられれば、大きな喜びとなることでしょう。

上杉恵美子より



                                     


ご機嫌いかがですか?おいでいただき、ありがとうございます。いつも信仰を保ち、勇気を持つことができますように。

 

 皆様は、マニラのそばにある人気の観光地、バタンガス州にあるフィリピン南西のルソに行かれたことがあるかもしれません。私は、そこで生まれ、大学時代半ばまで、この州に

おり、後に大学卒業まではマニラにいました。その後、バタンガス州の隣にあるカヴィテ

州のタガイタイ市に引っ越しました。そして、私の学生生活の残りをそこで過ごしました。

学生生活の間に、国の内外での、いくつかのホームステイプログラムや共同体の疑似体験、いくつかの自己啓発トレーニングに参加する機会に恵まれました。私は、私の人生の最も

大切なこれらの年月で培われてきた多くの経験を通して、私の現在の人生と理想を導き出しました。異なる人生の歩みの人々との出会いは、いつも素晴らしい経験となります。悲喜

こもごも、そして、他の人生の現実での私たちが分かち合った瞬間は私の宝です。一方、

たくさんの「旅立ち」は、私にとっていつも嫌なものでしたが、逃げ場はありません

でした。それは、「FAITH-ING」において、どんなに複雑な人間関係でも、異なる人生の

歩みにある人々と共に、思慮深く、質素で好ましく生きる事に関して、多くの良い事をわからせてくれるよう心を奮い立たせてくれます。どうゆうわけか理解するのが困難な瞬間に、『勇気』やその他の事が続いていくのです。

 

私たちの保護者、聖マルティン・デ・ポッレスの生き方についてたくさんの素晴らしいいことを共に学びましょう。私たちは、一緒に祈りの生活を深め、私たちの心の憧れへの気

付きを高めましょう。そして、私たちの社会で、私たちの隣人、特に病気の人、声なき人、社会から取り残された人々のために尽くしてまいりましょう。

イソより​


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